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【最終回】第4回「元気か~い3.11ラジオです」2023/2/11 放送

この番組では、東日本大震災により西東京市に避難してこられた被災者の方々をお迎えして
11年経った今だから話せるいろいろな思いや真実、人とのつながりなど、
心もほっこりする本音トークをお送りしています。

✱前回、第3回(1月14日)放送に寄せられた感想やお便り、一部ご紹介

〇西東京市職員のお二人の熱い想いと行動力に感銘を受けました。
〇藤澤さんが正直な気持ちを話されていて胸が熱くなりました。
〇今日のラジオ、とても感動しました。
〇何気なく聞いていたらコロナワクチンでお世話になった藤澤さんが出ていて驚きました。
〇声で伝えるって味がありますね。笑顔が見えるようです。想いが伝わってきます。
〇声がつながり、輪となって広がっていくのだと、ラジオを聴いてあらためて思いました。
〇キャスティングと構成の技あり!という感じで、ジェフリーさんのすごみを感じました。

ラジオをお聴きの皆さまからいただいたお便りで、「声で交流」ができたようで嬉しいです。

加えて、生活企画ジェフリーへのエールに励まされております。ありがとうございました。

✱昨年11月からお送りしてまいりました「元気か~い3.11ラジオです」ですが、第4回(最終回)のゲストは、福島県浪江町から避難してこられた後藤恭子さんです。後藤さんには前半に避難の日々を、後半は西東京市内で活動している「みちのく・まほろば会」のお話をお聞きしました。

放送の模様はこちらから↓
(著作権法に基づき、番組内の楽曲はカットしております。ご了承ください。)

リハーサル風景

(1)ゲストトーク 前半―雪道を一人で車で避難

2011年3月11日午後2時46分、後藤さんは、病院に入院中のお母様を見舞った後に寄ったプールで巨大な揺れに襲われ、
急いで水着の上に服を着て外に出たら、病院前は大混乱と悲鳴の渦でまさしく生き地獄。
病人の避難を手伝った後、何とか家にたどり着いても入れず、警察や消防団は「西へ逃げろ!」の一点張りなので、仕方なく一人で車を運転して上野原で一晩を過ごしましたが、雪が降り寒かった。
実は11日の午後7時過ぎ「原子力緊急事態宣言」が発令されたのですが、後藤さんは知りませんでした。

そして12日、ある病院の前で東電の制服を着た人たちが病人を観光バスに乗せているのを見て、
「あっ、原発が危ない」
と初めて気づいた時の緊迫感を「胴震いした」と表現。
そこから避難所を6か所ほど転々としましたが、地域の方々が炊き出しを用意して温かく迎えてくれた半面、避難所内はルールもなく、弱いものははじかれる、「本性丸出し」の厳しいサバイバルを体験しました。

その後、雪道を一人で必死に運転し、やっと東京のきょうだい宅に落ち着いたある夜、食事会のために出かけた新宿で見た光景は「まるで竜宮城を見た思い」だった。
なぜなら、「福島の私たちは着の身着のまま、命からがら、冷たいおにぎり半分でやっと生きてきたのに、新宿の町は着飾った人であふれ、宝石をちりばめたようにネオンは輝き、ご馳走がいっぱい」
その光景に怒りをおぼえたそうです。

そして9月に西東京市に越してきたものの、知人・友人もいない暮らしは寂しくて、「明日こそ福島に帰ろう」と思う毎日で、福島ナンバーやいわきナンバーの車を見つけたときは思わず追いかけてしまったこともあったとか。
しかし、ある日、福島県人会(松崎さん)から「お茶飲みに来ませんか」とお誘いを受けた時は、親戚に会ったように嬉しく、寂しさも薄れていったそうです。
この電話は、後藤さんにとって心の復興の始まりだったといえるかもしれません。

ゲスト: 後藤恭子さん

〇東日本大震災復興支援ソング「虹を架けよう~福島バージョン」を聴きました。

(2)ゲストトーク 後半―「みちのく・まほろば会」の活動

素晴しいふるさという意味をもつ「みちのく・まほろば会」は、東日本大震災により西東京市に避難されている方々が、この西東京市でも前向きに力強く再出発するための一助にしようとの思いで、手作り品などを製作して、市民の人たちとともに活動しています。
私は代表を務めています。

手作り品の材料の多くは、タンスに寝ていた着物・帯や布など市民の方々から頂いたものばかりなの、ご支援に感謝です。

活動の場所は、西東京市社会福祉協議会のファミリーサロンふれあいたなし(安田ビル2階)。

販売場所は、日本橋ふくしま館MIDETTEや田無駅前のアスタ、西東京市市民まつりや近隣市のまつりなどいろいろありますのでぜひお出かけください。

西東京市社会福祉協議会や西東京市福島県人会には大きなご支援をいただき感謝しています。

〇サプライズで、福島県人会事務局長の猪野滋さんからの録音メッセージを放送しました。
(進行役は協働コミュニティ課 羽石さん)

猪野さん曰く、「後藤さんの良いところは我慢強いところと物おじしないところ」で、作品の販売店開拓や仲間づくりなどに大きく貢献されているそうです。
そして、猪野さんは後藤さんに、いつも「死ぬまで元気に生きようね!」といって励まし合っているそうです(笑)。

録音風景 羽石さん(左)、猪野さん(右)

西東京市は住み心地良い町です。西東京市に避難してきた頃は人生の終わりかと寂しく感じていましたが、今は西東京市に来てよかったと思ってます。
西東京市は第二のふる里、心のオアシスです。安心して暮らせる町です。
昨年10月から息子家族の住む千葉県の市川市に越しましたが、まほろば会の会長として、活動のある日は市川から通ってきているんですよ。

そして、1か月後の3月11日には東日本大震災から12年を迎えます。それぞれの復興を祈っています。

(3)「元気か~い3.11ラジオです」 全4回のまとめ

昨年11月から4回にわたりお届けしてまいりました「元気か~い3.11ラジオです」は今回で最後となります。毎回多くの方々からいただいた心温かいやさしいお便りは、ゲストの皆様はもちろん、ジェフリーにとっても、大事な、大切な宝物になりました。ありがとうございました。

最後に、4回の番組を振り返り、まとめてみましたので、お聴き下さい。

1回目―東海敬子さんは、宮城県女川町の津波で、お連れ合い様を亡くし、ご自宅も流されるという苦しい日々を乗り越えられました。「一歩踏み出すことって大事、日々感謝することもね」と力強く、やさしいお言葉をいただきました。

2回目―福島第2原発の作業中に大地震にあった古堅益三さんは、原発の復旧仕事を引き受けたのは「当たり前」と言われました。加えて、安全だと信じていた原発事故を受け入れねばならなかった苦悩を、お話しくださった勇気に、心が震えました。

3回目―西東京市の職員の藤澤正樹さんと賀陽賢一さんは、被災者支援を通して感じたことを、率直に、丁寧にお話しくださり、公務員魂を見た思いでした。そして、

4回目(最終回)の今日、後藤恭子さんのお話しもすさまじいご体験でしたが、常に、前を見て歩んでこられたお姿に感動しました。

〇ラジオを通したゲストの皆様の言葉には、3.11から11年が経った歳月の重みがあり、しなやかな奥行きを感じました。

コロナ下で直接会うのがためらわれる中、ラジオを通して多くの方々と繋がれたことは心から嬉しく、お聴きくださった皆様に感謝申し上げます。どうぞこれからも3.11を忘れず、応援してください

ラジオをお聴きの皆さま、お元気で~ 
「ありがとうございました!」  

●この番組は、NPO法人生活企画ジェフリー西東京市の協働でお送りしました。