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西東京市非核・平和パネル展 特別プログラムPartⅡ「横山年三さん 戦争体験を語る」

8/6~8/9まで田無アスタ2階のセンターコートで開催された「西東京市非核・平和パネル展」において、
8/8(木)特別プログラムとして 戦争体験のお話を聞く機会が設けられました。

1945年8月15日の終戦から今年で79年。
戦争体験を語り継ぐ身近な方が少なくなる中、
16歳で水陸両用戦車隊に配属された経験を持つ、
西東京市内在住で96歳の横山年三(よこやまとしみつ)さんに、
当時の体験を語って頂きました。

※お話の聞き手は、武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会会員の渡部國夫さんです

・戦中の軍国主義 天皇絶対の考え
・軍隊ではどのような訓練を受けていたのか(モールス信号、手旗信号、飛行に慣れる訓練等々)
・終戦間近の日本軍の考え出した戦闘機や作戦とは、、、

そして、お話はクライマックスに

終戦間近の8月2日。
夜半に、暗闇の中至急の集合がかかり、出撃命令が出た。
隊長より「貴様たちの命は隊長が預かる。それぞれの故郷に向かって、最後の別れの挨拶を」と。

「覚悟をしていたとはいえ、これで16歳の生涯が終わりなのかと、
田無の方に向かって頭を下げた時、
故郷の情景や親兄弟の顔が閃光のように脳裏を駆け巡った。」と横山さんは言います。

覚悟を決めて連合艦隊を待ち受ける中、
夜が明けはじめ、作戦は中止となった。
敵艦が来るというのは誤報だったのだ。
かくして、横山さんは、生きて終戦をむかえることが出来たのです。


お話はこちらからお聞き頂けます。

前半 約24分間
後半 約26分間


「スポーツは勝っても負けても生き続けることが出来る。
しかし、
戦争は、勝っても負けても必ず誰かが死んでいく。

平和ほど、ありがたいものはない。
平和が続くよう、努力しようではありませんか。」

講演の最後に横山さんは私たちに大切なメッセージをくださいました。

祈るだけでは平和は得られない。
選択と行動で未来を変えて行くことが出来ます。

96歳とは思えないお元気なお話しぶりで、時には涙も。

スライドでたくさんの資料が紹介されました。

少年の面影もある16歳の横山さん。訓練の日々で眼光が鋭くなっていたと横山さん自身がおっしゃいました