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「マスク越しの青春」――コロナ禍で過ごした中学3年間と、自分と向き合った時間 「聞かせてくださいあなたのコロナ禍~私たちは何を学んだのか?」

2020年、突然始まったコロナ禍。
学校生活、友人関係、家族との日常――当たり前だったすべてが、大きく変わった。

小学校6年生から中学3年生まで、ほぼ丸ごとコロナ禍の中で過ごした根岸咲空(そら)さん。
「顔が見えない」「遊べない」「関係が深まらない」――そんな制約の中で感じた戸惑いと孤独。

しかしその一方で、彼女は一人の時間の中で、自分の感情や思考と向き合い続けた。
嫌だった出来事も、そのままでは終わらせない。そこから意味を見出し、自分の糧に変えていく――そんな思考の習慣を身につけていく。

マスク越しの青春の中でたどり着いたのは、「どんな経験も、自分の成長につなげる」という確かな軸だった。それは、人と人との関わりの中で得た思考のパッチワークだと言う。

18歳になった今、当時を振り返って語られる言葉から、そのリアルと、静かに育まれた内面の変化に迫る。



根岸さんのお話はここからお聞き頂けます(約16分30秒

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奪われた「当たり前」――小学校卒業と止まったスタート

2020年3月、咲空さんは小学校6年生だった。

卒業式自体は行われたものの、歌は大幅に削減された。
「歌った思い出がなくて、ちょっと寂しいです」と振り返る。

さらに、4月に予定されていた中学校のスタートは大きく遅れ、入学は6月に。
“新しい生活の始まり”は、想像とはまったく違う形で幕を開けた。

当時の気持ちについては、意外にもこう語る。

「どうしようっていう不安よりは、みんなと外でバレーボールしたりして、遊ぶ機会が増えて嬉しい気持ちの方が最初は大きかったです」

楽観的だったからこそ、不安よりも“今できる楽しさ”を感じていたという。

顔が見えない教室――コミュニケーションの壁

しかし、学校生活が始まると状況は一変する。

「マスクをつけているので、みんなの顔が見えない。表情が読めないのでコミュニケーションが取りにくかったです」
目元だけでは相手が誰か分からず、「あれ、これ誰だっけ?」ということも日常だった。

授業は、教室を20人と小分けにして、オンラインも取り入れ欠席の子への配慮もしつつ進む。

友達関係では、「学校では仲良くなるけど、遊びに行けない。“学校の友達”以上の関係を作るのが難しかった」
青春の中で最も大切な“関係の深まり”が、思うように育たなかった時間だった。

さらに、給食は班ではなく前を向いての“黙食”。
友達との距離は、物理的にも心理的にも遠かった。

ただ、お昼の放送では、そらさんは放送委員として活動していた。
「みんなが流したい曲を募集して、CDを持ってきてもらって流していました」

黙食で静まり返る教室に、少しでも楽しさを届けたい。
その思いで放送に取り組んでいたという。

「少しでも楽しめるように頑張っていました」

直接会話ができない中で、“音”がつなぐコミュニケーションがあった。

消えた行事と、先生たちがくれた特別な思い出

1年生の頃は、行事がほぼすべて中止。
合唱コンクールも、2年生は本番はなく練習のみで終わる。
3年生では、保護者は別の教室で配信で見るという一種異様な光景。

しかし、その中で先生たちは新たな工夫を生み出していた。

「西東京市内探検みたいな形で、先生たちが市内に立ってイベントをやってくれて、それをみんなで巡る企画をやってくれました」

本来の行事はなくても、代わりに用意された“特別な体験”。

「スキー教室はできなかったけど、その分、先生たちに手厚くしてもらった特別感はあります」

失われたものの中にも、確かに残った思い出があった。

家族と不安――「もしも」が現実になったとき

コロナの影響は、家庭にも及ぶ。

母と弟が感染したときのことを、こう振り返る。
「完全隔離になってしまって、父も仕事があるので家事がうまく回らなくて…すごく大変そうでした」

それ以上に大きかったのは、不安だった。
「弟がまだ小さかったので、大丈夫かなっていう心配の方が強かったです」

ニュースで報じられる重症化や死亡の情報も、恐怖を増幅させた。
「もし自分がかかったらって考えると、すごく怖かったです」

「感染対策としては、ワクチン接種と、マスクは絶対何があっても外さないっていうのと、三密は避けるようにはしていました。
 マスクを外したのは高校1年生の終わりとかです。」

「マスクをつけて生活に慣れてしまうと、体の一部みたいになってしまうので、外すのに抵抗感があったので、結構みんな外すまで時間かかってました。」

その一方、マスクを外し始めた時の気分は爽快だったと語ります。
 「息がしやすい、しかも相手の表情も見やすいし、自分の表情を相手に伝えやすいので、開放感がすごかったです。」

つながれなかった時間と、ようやく見つけた「親友」

コロナ禍で一番つらかったことは何か――。
そう問われたそらさんは、少し考えながら、静かに言葉を選んだ。

「やっぱり、家から出られないとか、友達と遊びにくいとか…」

当たり前だったはずの日常が、少しずつ奪われていく中で、特に大きかったのは“人との距離”だった。

「マスクしているので、表情とか顔が読めないっていうのがあって、コミュニケーションを円滑に行うことができなかったり、関係を深めていくことがすごく難しかったと感じています」

同じ教室にいても、目元だけで相手を理解しなければならない日々は、想像以上に人との関係づくりを難しくしていた。

学校では話す。笑う。
それでも、その先にあるはずの“もう一歩深い関係”には、なかなかたどり着けない。

転機が訪れたのは、中学3年生になってからだった。

「やっとみんなと関わる機会がすごく増えて」
その中で、そらさんは大切な存在と出会う。

「そこで、もうたぶんこの人たちとはずっと一緒にいたいみたいな親友はできたんですけど」

長い時間をかけて、ようやく手にした“本当のつながり”。

だからこそ、それまでの時間を振り返ると、こう感じるという。

「やっぱりそれまでは難しかったなって思ってますね」

一人の時間がくれたもの――自分との対話

コロナ禍で良かったことはあるか。
そう問われ、そらさんは一度こう答える。

「正直、ないと思っていました」

それでも考え抜いた末に、たどり着いた答えがある。

「一人でいる時間が多かった分、自分と対話する時間が増えました」

絵を描いたり、ノートに思考を書き出したり。
頭の中の“ぐちゃぐちゃ”を整理する習慣が生まれた。

「中学生となると思春期だったりして、周りともうまく生きにくかったり、自分自身に対してマイナスなことを考えがちな年代ですし、自分もすごくそうだったんですけど、 嫌だった出来事とかマイナスな出来事をそのままにしないっていうのは多分そこで作り上げた考え方だなと思っています」

「どんなに嫌なことがあっても、そこで自分が成長できた点とかプラスな点を考えて、本当に嫌だった思い出では終わらせないっていうのを心がけています」

この思考は、今の自分にもつながっているという。

悩み、揺れた中学時代と、支えてくれたもの

中学2年生の頃、そらさんは大きく心が揺れた時期があった。
「すごく病んじゃってて、両親にも迷惑をかけました」
「将来、何かの形で恩返しができたらなと思っています」

思春期とコロナ禍が重なり、自分の中で葛藤が大きくなっていった。

それでも、人との出会いが支えになった。
「ボランティアやミュージカルなどで、いろんな人と関わる中で、考え方を少しずつ取り入れていった」
「考え方ってパッチワークみたいなものだと思っています」

さまざまな価値観の“いいところ”を集めて、自分の思考を形作っていった。

あの頃の自分へ――後悔と、伝えたい言葉

最後に、2020年の自分に会えたら伝えたい言葉を聞くと、少し間を置いてこう語った。

「コロナ禍だからっていうのを、言い訳にしてしまっていたと思います」
「思春期でやっぱり周りとも親ともうまく行かないいことが多くて、 でもコロナ禍だから、コロナ禍だったからと言って勇気を出さなかったことがすごく自分の中で後悔していて、 だからコロナ禍だからって言い訳をしないで、殻に閉じこもらないで、 ちゃんと周りと今できる最大のコミュニケーションをとったり、今できる最大のことをやって欲しいと伝えます。」

ありがとうございます