まつばらホームクリニック『ラジオ在宅NOW』!
この番組は、保谷駅から徒歩三分の場所に位置する、まつばらホームクリニックの松原清二院長に、日頃医療の現場で感じていらっしゃることをお話頂き、皆様にも在宅医療に対しての理解をより深めて頂ければと思います。
第一週と第三週に本放送、その他の週は再放送をお送りします!
【12月のテーマ】
『在宅医療について』
皆様是非お聴きください!!
西東京市を中心に患者さんの自宅に行き、診察をしている在宅医療専門診療所「まつばらホームクリニック」のホームーページはこちら→https://m-hc.jp/
↓放送内容を文字でもお読みいただけます!
田中ヒロコ:では松原ホームクリニック「ラジオ在宅NOW」今回はですね、谷戸公民館で公開収録という初の試みですが、松原先生、本日もよろしくお願いいたします。
松原先生:よろしくお願いします。
田中ヒロコ:先生、今日スーツですよね。ラジオの時、結構ラフな格好かというか、お忙しくていらっしゃるので、医療現場からすぐね帰ってこられて、制服ですか?なんていうんですかね、医療着?
松原先生:スクラブですね。
田中ヒロコ:いつも白衣のような恰好でラジオ収録してるんですけど、今日はビシッと、決めてらっしゃるということで、よろしくお願いいたします。
松原先生:よろしくお願いします。
田中ヒロコ:では早速ですが今日は在宅医療の実態。
松原先生:そうですね在宅医療ってきっと皆さん言葉は知ってらっしゃると思うんですけれども、実態として何なのかっていうことを多分ご存知じゃない方が多い、もしくはここ10年ぐらいですね。在宅医療の質そのものも変わってきてますので、そこら辺をお話できたらなというふうに思います。
在宅医療ってそもそもどういった方が対象なんだっていうことなんですけれども、基本的には要介護3以上の患者さん、もしくは重症患者さんということになります。要介護3っていうのはどういう状態を意味してるんだっていうことなんですけれども、例えば、患者さん自身が自分で服を着替えることは難しいとか、食事を介助してもらわないと難しいとか、あとは医療機関に外出していくことが難しいので必ずその付き添いが必要な状態というのを大体指します。
あとは重症患者さんっていうのはどういった患者さんかっていうとですね、気管切開しているような患者さんとか、胃ろうで経管栄養をやっているような患者さん、あとはがんの患者さん、あとは神経難病の患者さんといった方が挙げられます。総じて言えるのは、外来に通院することは困難なんだけれども、体が非常に弱い方が対象になります。
それ以外に認知症の患者さんですね。認知症の患者さん、例えば見た目健康なんだけれども、結局ですね、外来に行き方がわからない、外来での受付の手続きがわからない、あとは今までのことを話すことができないとか、そういった患者さんも対象になるんじゃないかなというふうに思います。
在宅在宅っていうとですね、基本はイコール看取りっていうような形で考えられることが多いと思います。皆さんですね、できるならば家で最期は亡くなりたいという思いで元々は在宅医療って医療機関で様々な治療をされても、結局治療が尽くされてしまったと。 その後の受け皿として考えられた面もありますので、『看取り』ということに関しては考えていかなきゃならないテーマということになります。
田中ヒロコ:はい。在宅医療って今結構テレビとかでも聞いたりするんですが、意外と身近じゃなかったり、そういうことがあるので今日結構皆さん興味あると思うんですよね。ぜひお願いいたします。
松原先生:多くの人がですね約60%ぐらいの人は統計を取ると、最後は家で迎えたいというようなことをやっぱりおっしゃってます。今回のこちらの方のスライドでも一般病院と緩和ケア病院と自宅というふうに3種類のカテゴリーに分けてみて、結局自宅が良かったっていう人が78. 1%で緩和ケア病棟が49. 5%、一般病院が33. 8%ということで基本は家が良かったということを皆さんおっしゃってます。
ですが、重要なのは、自宅で最期亡くなりたいっていう人が自宅で亡くなった場合、もしくはホスピスで最期は家族負担を考えてホスピスで亡くなりたいと思っている人、もしくは今までの病院の先生に看取ってもらいたいというふうに思っている人そういった人は様々いるんですが、そういった自分が最期を迎えたいというところで亡くなった場合ですね、そのときの終末期の質の評価というのをこちらの表で挙げています。自宅っていうところで見てみると、自宅で最期を迎えたかった。あとは、迎えれなかったれなかったこちらの方を数値化したものがありまして、数値が高ければ高いほど満足度が終末期の生活の質の満足度が高いということになるんですけれども、今回見てみると、自宅で亡くなった場合は点数は51. 9と、自宅で迎えたくなかった場合34. 7とやはり自宅で迎え入れた場合が叶った場合は点数が不一致の場合と比べると当然高い。
ただそれだけじゃなくて、ホスピスとか一般病院でもですね、最後自分の望んでいるところはそういうところなんだというところになってくると、やはり自分が最期を迎えたいところが、の方が点数が遥かに高く数値が出てます。なので、急性期病院でなかなか治療が限られてしまって最後在宅という話は今の時代進んでいくんですけれども最期ですね、やはり自宅でっていうふうに無理に押しつけることはなしにですね、患者さんとそのご家族と社会的な資源がどういったものがあるかというのを理解しながら、病状を理解しながらしっかり丁寧にその話をしていく必要性はあるんじゃないかなというふうに思います。
田中ヒロコ:そうですね。私も父が2年前に亡くなったんですけど 先生の在宅医療とか、知っていながら在宅医療で自宅で看取りって叶わなかったんですね。終末期の患者さんも選択肢があるんだよっていうのを、元気なときから何か知っておくと、終末期に向かって準備ができたかなって。すごく今思うんですけど。
松原先生:うん。そうですね頭の片隅には考えておいた方がいいと思います。ただいろんな患者さんを見ていると、一人暮らしの人とご家族に囲まれてる人の場合で比較してみると、 一人暮らしの場合って結構自分の融通は正直聞くというか、例えばもうほっといてくれとそのまま家で最期を迎えたいんだというんであれば大体最後まで家で迎えられるケースが多い一方で、温かいそのご家族の愛情の中にいるとですね、やはりご家族の方が何かしてあげたい。こういう状況はちょっとかわいそうだとかいろいろ思いが錯綜して、難しいケースも実際あります。
田中ヒロコ:はい。ご家族にも負担がかかるということも。
松原先生:患者さん本人を見ればいいって問題じゃなくてご家族も見ないと成り立たないのが在宅医療ということになります。実際ですねこちらの方のスライドなんですけれどもこれちょっと古いんですけどね、平成20年の厚労省の資料なんですが、自宅での療養に関しては60%以上の国民が最期まで自宅での療養は困難というふうに考えているというグラフが出ています。
実際に自宅で最期まで療養することが困難な理由として、介護してくれる家族に迷惑がかかるということでそこが問題になっているということになります。
皆さん例えば病気のご身内がいて働きに行くと。そうすると働く時間も制限されてしまうとかあとはお熱が出てしまったらもしくはその状態が悪化することを繰り返せば、結局家に帰らなきゃいけない。仕事を中断しなければならない。というようなことで非常に難しい局面にさらされるということを想定すると、当然家族負担っていうのは考えなきゃいけないということになります。
田中ヒロコ:そうですよね。 家にいるからこそ気になってしまうし、先生がおっしゃったように、何とかしなきゃっていうので自分が何をできるのかっていう想像が結びつかないですし、不安ですね。
松原先生: そうですね。多くの患者さんとお話しているとですね、患者さんとご家族ですね状態が悪くなったら病院に送ってもらえばいいっていう考える一方で、超高齢者になってくると何もしないでくれっていう患者さんもやっぱりいらっしゃるんですね。もうそのまま自然に亡くなっていきたいという患者さんもいらっしゃいます。
ただですね、急性期病院の立場で立つとですね、やっぱり治療をしないと医療機関って受け入れられないんですよ。昔は急性期病院も含めてですね、全部見るとリハビリも含めて最後の看取りも含めて場合によっては見るっていうような時代だったんですが、ここ数十年ですね、医療のステージによって医療機関の役割っていうのがやっぱり変わってきてます。例えば急性増悪した場合、もしくは新たに心筋梗塞等を発症した場合の急性期っていうのもあれば、その後のリハビリの回復期である程度リハビリをしてしまったらその後はもう安定しているので療養期というこの三つのステージングがあって一応療養期にあたってから大体在宅療養にするか介護施設にするかっていうようなカテゴリーになってきます。
一応ですね、在宅療養で私のところに相談来るケースで、つい最近も老衰でご飯が食べれなくなってきたと点滴もして欲しくない酸素もして欲しくない。でも昔自分の父親は昔は病院で受け入れてくれたから最後はそれでいいんだっていうふうにおっしゃってたんですけど。
そこはやっぱりですね、考え方変えてもらわないといけなくて、今はもうそういうことは家でもできるし、何もしないでくれっていうことを、結局言われて病院に相談するっていうのは病院の連携室の人も結構困ってしまう。
以前はその急性期病院にかかってた人で何もしないでくれっていうことで、ご家族の要望が強かったものですからご相談したこともあったんですが、やっぱり断られるというのが現実としてありますので、そこは自分が最期はどうありたいかとか、そういうのは理解をしてですね、あとは世の中の病院の役割がもう違うんだっていうことは わかってもらいたいなというふうに思ってます。