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8/22ウィークエンドボイス放送後記

スタジオはまたまた芝久保のAスタジオからお届けしています。
夏も終盤!!秋バテにならないようにがんばりましょう〜!

11時14分~ 1コマラジオ   *メッセージ応募してね!
11時15分~ ゲストコーナー スクタリウともこさん
11時45分~ スポーツコーナー by酒匂匠キャスター
12時02分~ まちテナPickUp!
12時15分~ ロコラボインフォ
12時26分~ 西東京マニアックス
      *インスタ回答締め切りは毎週金曜日!
12時43分~ まちのおと( 西東京市から徒歩5分にある新座市黒目川の川音 )

ゲスト:スクタリウともこさん

 

今回ゲストはスクタリウともこさん!!
現在、西東京市・練馬区を中心に、東ヨーロッパ ルーマニアの家庭料理教室と、親子英語教室を主宰していて、もうすぐ開業して10年目!!
一般社団法人「日本ルーマニア親善協会」の理事、おうちdeママの会 代表、FM西東京では、第2水曜日の13:00より「スクタリウともこの ワールドマニア」という番組のパーソナリティを務めるなど、幅広く活躍されております。

なぜルーマニア教室??

日本では珍しいルーマニア料理教室。
そして今ではルーマニア教室といえばスクタリウさんですが、元々ルーマニアとは縁もゆかりも全くなく、どにあるかも分からないくらいだったそうです。
ではなぜルーマニアかというと、15年ほど前にニュージーランドに住んでいたスクタリウさん、当時英語を勉強しに来ていた後に夫となるルーマニア出身の方と出会い、その後ルーマニアに在住することとなります。
そこで30年ほどルーマニアでコックをしていた夫の叔母に出会います。
言葉も分からない、友達もいない中、自分に寄り添ってくれたのは、食べるとほっこりする、叔母が作ってくれたルーマニアの料理だったそうで、「これは日本人の口にも合うし、日本に帰ったらたくさんの人にルーマニア料理を食べてもらい味わってもらいたいな〜」と思い、叔母からルーマニアの家庭料理を習ったのが始まりだそうです。
そして日本に戻り、ルーマニア料理教室を開きました。

ルーマニア料理の特徴

ルーマニアは内陸なのでお魚料理は少なく、お肉料理が多いのですが、
ルーマニア人の90%はルーマニア正教でイースターやクリスマスに入る前はお肉料理を食べれない時期があるそうで、イースターやクリスマスで沢山ご馳走を食べるので、それまではお肉を抜いて野菜メインの料理などを食べて体を清めるみたいです。
そしてルーマニア料理は色鮮やかなのが特徴的で、特にパプリカやトマトを使った料理がとても多いようです。
湿度の低いルーマニアでは発酵食品も食べることが多く、その中でも「サルマーレ」日本の家庭でも食べられるロールキャベツのことで、ルーマニアでは発酵させたキャベツで巻いて作ったりもするんですって〜!!
発酵したキャベツで巻いたロールキャベツ、、実に興味深いです、、食べたい!!

今できること!YouTube!

このコロナ禍で何かできないかと考えた末、新しい方法でルーマニア料理を発信しようとYouTube本格的に初めたそうです!!
皆様もとても美味しそうなルーマニア料理を動画を見ながら作ってみてはいかがでしょうか?
その先には本を出すなんてことも考えているようで、、もうワクワクです!!

とにかく幅広く活躍されているスクタリウさん!!
今後が楽しみですね〜😆
皆様!!スクタリウさんのこれからに乞うご期待です!!

スクタリうさんの詳しい情報 
HP➡︎https://happy-style.biz/
ルーマニア教室➡︎https://romanian.exblog.jp/
国際交流グループ「Cloud of wings」➡︎facebook.com/groups/442523136088357/
       

(文:生田哲也)

1コマラジオ (8/22放送)

 1コマラジオでは16秒のメッセージを大募集中です! 自分語り、まちのこと、小噺、歌、ものまね、愛の告白でもなんでもオッケーです。※お店の宣伝はNGです。スマホ等の録音機能を使って、メールでお送りください。
たくさんのご応募お待ちしています。
※16秒を過ぎたものはこちらでカットします。12秒以下の音声は使用できません。

西東京マニアックス 正解発表!Vol.18

ここはどこでしょう~?

このピンク色のなんだか怪しげな空間。
もしかしたら幼き頃の記憶をたどれば、思い当たる場所があるかも・・!

はい!正解は田無市民公園、通称タコ公園のタコの遊具でした!
このタコの遊具ですが、実は全国各地にある日本ならではの遊具でして、wikipediaによりますと、

タコの山(タコのやま)とは、滑り台を主としながら迷路や秘密基地のような構造を併せ持つ、コンクリート製・人造石研ぎ出し仕上げの屋外公園遊具で、造形上、タコ(蛸)の姿を模していることからその名で呼ばれている。「タコ山」「タコの滑り台」「タコさんすべり台」「タコの山のすべり台(※開発企業の後身に当たる前田環境美術が用いる名称の一つ)」「タコ遊具」「タコスライダー」など様々な別名でも親しまれている。

1965年(昭和40年)に日本の東京都足立区西新井にある新西新井公園に初めて設置されて以来、日本各地に数多く設置されるようになったとも、1968年(昭和43年)に東京都品川区の神明児童遊園に設置されたのを先駆けとして広がったともいわれている。いずれにしても、そのころ以来、タコの山はほぼ日本国内に限って広く普及していった。造形に愛嬌と不思議さがあって人気なのもさることながら、業者の言うことには、小さな子供は遊んでいるうちに自分がどこにいるのかよく分からなくなるという迷路性があって楽しいらしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%81%AE%E5%B1%B1

田無市民公園

 田無市民公園は田無庁舎より市役所通りを南へ下り、石神井川を渡り坂を登りきった右側に位置する公園です。園内にあるタコの形をしたすべり台が人気を呼び、通称タコ公園の名で親しまれています。また、夏期には流れやジャブジャブ池なども子供たちの格好の遊び場です。隣接する体育館やグランドで一汗流した後に休憩しているグループを良く見かけます。開園は昭和59年3月31日。みどり公園課にタコ遊具について問い合わせたところ、この遊具は開園当初に設置されたもので、施工会社は前田環境美術さんとのこと。
 実はタコ遊具、全国で人気が出たためか、前田環境美術さん以外のものもあるということで心配だったのですが、正に本家のタコ遊具であることが分かりました。

タコ山の滑り台

さて、この滑り台を作った前田環境美術とはどのような会社なのでしょうか?
ホームページによると以下の記述があります。

当社の創業の頃に若い芸術家の卵たちが創り始めたこの不思議な遊具は、ほどなく誕生以来40年を迎えようとする今も町のなかで子供たちに親しまれながら存在しつづけているのです。
実はオリジナルデザインは『プレイスカルプチャー。石の山』だったのです。ちょうど「タコの頭」だけを外した姿を想像してください。創業時にこれをデザインした若い彫刻家は、ある人が気づいた『頭をのせたらタコになる』という発見とその注文に考えてしまいました。なにか自分の作品が価値を落としているような気がして・・・造形を志す若者が誰しも共通する悩みにぶつかったのです。・・・
しかしこの発見と注文こそがその後の遊具の運命を決定付けたのです。

『タコの山』は全て手作りです。図面はほとんど絵です。これも彫刻家が書きます。鉄筋を曲げながらタテ横に溶接しながら形を作っていくのも彫刻家たちです。鉄筋で編むように作られた有機的な曲面がタコの骨組みです。柔らかそうな形ですが実に頑丈です。その後に金網が被せられて後は左官屋さんがモルタルを塗り重ねていきます。最後は表面を研ぎ上げて完成します。

http://www.e-maeda.co.jp/story/001.htm

なるほど! 最初からタコをイメージしたものではなく、↓のような

「タコの山のすべり台」が出来るきっかけとなった『プレイスカルプチャー。石の山』

現代美術の作品のような艶めかしいフォルムのデザインだったのですね!
ちなみにこの第一号のタコの山を作った方は工藤健さんという現代彫刻家です。のちに美術作家として活躍され、多摩美術大学の教授や二科会の理事なども務められています。流石です!
 このタコの山は日本ならではの遊具なのですが、今ではデンマークのコペンハーゲンにも設置されているようです。芸術の都に飾られるなんてすばらしい!

ちなみに全国に400基以上あると言われるタコ山の滑り台ですが、この西東京のものは規模としてはかなり大きいものです。階層としては3階建てのもので、この規模のものはなかなか見つからないと思います。
古い遊具ですので、傾斜などは今の遊具よりは若干キツめです。怪我などして問題になると、遊具が撤去されかねないご時世です。ぜひ安全に使用して、未来の子どもたちにも遊んでもらえるよう大事にしていきましょう!

タキシータさんの解答

もはやお金を払う必要があるのでは?というレベルの、西東京市の生き字引
タキシータさんの解答原稿を掲載します。
「逓信省電務局電気試験所田無分室」という研究所の跡地であるとのこと。素晴らしいマニアックな豆知識なのでみなさまと共有します!


以下全文↓
撮影ポイントは、タコ滑り台の上から東北東下向きなのですが、大人だとなかなか上に昇ることが躊躇されます。(笑) 人気(ひとけ)がない時か、子どもに撮影を頼むのが良いと思われます。(大笑) このタコ公園は昭和59年(1984)3月31日に開園しました。 隣接する総合体育館や市民公園グラウンド、向台運動場、都立田無高校など、市民のスポーツや健康維持、教育の場、憩いの場として親しまれています。 さて、この広大な場所には以前ある研究施設がありました。 それは昭和14年(1939)に開設された「逓信省電務局電気試験所田無分室」という組織の研究所で、明治24年に設立された逓信省の電気試験所の分室でした。ここではもっぱら電気・通信を目的とした最先端の試験研究を行っており、戦時下では研究所内に地下壕を作っていました。 戦後の昭和23年(1948)には、電力部門は商工省工業技術庁傘下の電気試験所に、一方、通信部門は逓信省電気通信研究所に分割され、ここ田無の研究所は商工省(後の通商産業省:現在の経済産業省)工業技術庁(後の工業技術院)傘下の電気試験所となりました。 分割後の電気試験所は名目上は強電関係(電力)の研究が主ではありましたが、半導体(トランジスタ)の基礎研究も独自に行っており、後の昭和45年(1970)には名称を「電子技術総合研究所(電総研)」と変更し、電子技術の研究へシフトしていきました。 昭和54年(1979)には、田無市、永田町、木挽町に分散していた研究所を統合して筑波学園都市に移転しました。現在の産業技術総合研究所(産総研)の前身組織の一つです。 さて、電総研が移転した後の広大な敷地には、都立田無高等学校(昭和58年(1984)開校)、市民運動場、市民公園、グラウンド、総合体育館などが出来ました。中でも写真のタコ公園は市民に人気の公園です。 なお、石神井川沿いの向台運動場及びグラウンドは、遊水池(調節池)も兼ねており、石神井川増水時には「向台調節池」として越流堤から洪水を取水し、下流域の氾濫を防ぐ役目を持っています。

タキシータさん本当に素晴らしい回答をいつもありがとうございます!

正解者発表!

今回の正解者は8名!
そして当選者は以下の3名になります。
insyutaguramさん
sugar-papaさん
ヤッピーさん
オリジナルステッカー、ぜひまちテナまで取りに来てください。

それでは次回もよろしくマニアック!
(文:中村晋也 解説文:タキシータさん)

回答は、インスタグラムとフェイスブックのメッセージ機能にて。
出題は水曜日のみ1回になりました!

まちの音  

石神井川に入る音_カワセミを見つけてカワウを見つける音