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5/9 ウィークエンドボイス放送後記

今週の放送は以下のスケジュールでお送り致しました。

11時14分~/12時25分~ 1コマラジオ
         *メッセージ応募してね!
11時15分~ ゲストコーナー ミュージシャン・難波隆弘さん
11時45分~ スポーツコーナー by酒匂匠キャスター
12時02分~ まちテナPickUp! COMMA,Coffee & 風葉花
12時15分~ ロコラボインフォ
12時26分~ 西東京マニアックス
      *インスタ回答締め切りは毎週金曜日!
12時37分~ まちスタボイス
12時43分~ まちのおと(保谷町3丁目の鰻屋で ウナギを焼く音)

ゲストコーナー 難波隆弘さん

 今週のゲストは、ミュージシャンの難波隆弘さん。ウィークエンドボイスのパーソナリティの中村麻美とはとても縁の深い方です。

神戸から新天地を求め東京へ

 神戸や関西でプロのサポートギタリストとして活動していた難波さんですが30代後半で新天地を求め荻窪に引っ越してこられた難波さん。いくつか住居を移す間に西東京市にたどり着きました。スナックや居酒屋など個人商店が建ち並ぶ雰囲気にとても惹かれ、この地に定住することになりました。
 それから10年以上音楽業界で働き(錦野旦さんのバンドリーダーや欧陽菲菲さん、舟木一夫さんなど蒼々たる方々の演奏をしてました)ましたが、50才を過ぎたある日、奥様と一緒に富士町でカフェレストランを開きました。カフェレストランは残念ながら2年ほどで閉店してしまいましたが、それをきっかけに地元の人たちとの交流が増えていったそうです。

地域の中のミュージシャンに

 関西学院大学出身の難波さんが、偶然にも同じ大学・同じ学科・同じ時代に大学に通っていた同級生と、この西東京市で会うことになります。大学在校中はお互いに全く交流はなかったそうですが、その彼も関西で一時期音楽活動をされていたそうで、まさに奇跡の出会いです。そちらが現在西武柳沢駅南口でLOVE2というバーを経営する赤塚文洋さん。彼とダブル関西学院大学出身ということで「カンカンガクガク」というバンドを結成。商店街のいくつかのお店でライブを行うなどして活動をはじめます。

10年前の難波さんと柳沢の懐かしい風景

 すると今度は北口の商店街の眼鏡屋「マイスターメガネ」の稲垣俊幸さんと意気投合し「たまたまセブン」というバンドを結成、そこに商店街で駄菓子屋を始めた本番組パーソナリティの中村麻美が加わり、商店街発進のジャズバンド「Mami & the Hotstreets」を結成。ASTAや田無神社、ひばりが丘PARCOなど地域密着の音楽活動を進めています(平行してプロとしても活動されています)。

そして紙芝居へ

 もともと商店街や駄菓子屋など大衆に近い文化が好きだったという難波さんが「旅の一座」をコンセプトにもう一つにユニットを結成しました。それが「柳沢楽太郎一座」です。歌えるちんどん屋として2019年には福島県の広野町に復興支援に行ったり、田無神社の例大祭で道路を行脚したりと音楽活動をしていましたが、難波さんがまた意外な一面を見せてくれます。

福島県広野町でのちんどん屋(チンドン太鼓が難波さん・ゴロスが麻美さん)
田無神社例大祭でのちんどん屋(ギターを使った新しいスタイルです)
舞殿でのライブの様子

 それは紙芝居の執筆です。
 今年の5/5の子どもの日を公演日に考えていましたが、コロナの影響で叶わず。そんな訳もありまして、作・難波隆弘 絵・田川秀樹「駄菓子キッドとドクッキー男爵」をラジオで本邦初公開! ラジオの生放送でパーソナリティの中村麻美と二人芝居による紙芝居朗読に挑戦致しました。 
 紙芝居は今後、新作も制作予定で音楽も効果音も飛び出すハイブリットな新しいカタチで展開していきます。難波さんの音楽活動と合わせてこちらも引き続き応援をよろしくお願いいたします!
(テーマソングも作りました。ぜひお聞きください!)

1コマラジオ (5/9放送分)

 今週もご応募ありがとうございました!

5/9放送 1本目(おいえさん・MAMIさん)
5/9放送 2本目(西東京カメラ部・いつかは先生さん・芝久保の親さん)

 1コマラジオでは16秒のメッセージを大募集中です! 自分語り、まちのこと、小噺、歌、ものまね、愛の告白でもなんでもオッケーです。※お店の宣伝はNGです。スマホ等の録音機能を使って、メールでお送りください。
たくさんのご応募お待ちしています。
※16秒を過ぎたものはこちらでカットします。12秒以下の音声は使用できません。

西東京マニアックス 正解発表!

 今週のマニックスは、廣田編集長からの出題!

 今週はちょっと難しかった💦
回答は、インスタグラムのみ!正解者はブログの最後に発表します!

 今回の1枚目はこちら! じゃん!

1枚目  信楽焼きの狸さん。草食べてる?

これだけじゃちょっとわからないかな~?
飲み屋さんでも、お好み焼き屋さんでもありません(笑)
「草が生えてて囲いがある」麻美さんの鋭いコメント!
そう、ここは「公園」です!!

2枚目 住宅街の公園です。

 この写真でも スタジオでは誰も回答できませんでした。
今回は難易度高かったですね~💦
団地の中の公園。田無駅南口からの団地(集合住宅)といっても名前が出てこないエリアでした。

正解はこちら!

正解は「向台植物公園」でした!
向台3丁目10。団地と戸建て住宅の境目に位置します。
田無駅南口から石神井川を越えた先の勾配あたり。

西東京市が管理している「向台植物公園」は広さ233平方メートル。
関係者曰く「日本一小さい植物公園」 とのこと。
柔道場約3個分の敷地ですが、実際の公園は柵により仕切られていた小さな公園になっています。

都営住宅や戸建てに囲まれたこの場所に、なぜ植物公園が??

入口の案内にはこんなことが書いてありました。

著名な植物学者・竹内亮先生?
近くに住んでいただけで公園ができるとは、すごい方なのでは??
中国から自ら運んだメタセコイアとは…?
メタセコイア

竹内亮 先生とメタセコイア

調べてみると・・・
実は日本だけでなく、世界の植物史にゆかりのある公園だったのです!

日本の植物学者である竹内亮(たけのうち まこと)先生が、昭和32年(1957年)に中国から(こっそり)持ち帰った苗が成長したものだそうです。

福岡山の会会報「せふり」竹内亮先生追悼号より

昭和14年(1939年)から満州国林野庁林野実験室勤務 、 昭和21年(1946年)年国立長春大学の創設時教授として、 昭和32年(1957年)から東北師範大学教授兼生物系主任を8年間歴任。 中国での18年間、現地の人たちに慕われ帰国するぎりぎりまで教鞭をとっていました。
ようやく帰国することになった竹内先生、メタセコイアの苗を4本、自身の杖に隠して日本に持ち込んだというものだったのです。

帰国後、旧田無市に住んだ竹内先生は、この公園のある引揚者用住宅に入居。その庭で中国から持ち帰った苗を育てていたというのです。
その苗の1本がこの向台植物公園に現存しています。
ほかの3本は…
・西東京市立向台小学校の校庭(西東京市の木50選・第1号)
・九州の友人に
・枯れた
とのこと。

メタセコイアは「生きた化石」と言われる木。
三木茂は博士が化石から発見したという論文に該当すると思われる木が、中国で発見された。戦争直後の時代ながら研究者によって発芽、生育条件を研究し苗にすることに成功、その苗を日本・中国・アメリカの研究者の連携により種を保護・挿し木などで増やすことができた。
参考資料: http://www.palaeo-soc-japan.jp/publications/100_TsukagoshiFP.pdf

やがて、田無の住宅(平屋)も団地の建築により区画整理区域となります。
そこで、竹内先生の貴重な植物を一時避難・保存しようと現在の植物公園に移しました。
当時の植物公園には、貴重な植物を含め、標本木125本・240種が植えられていたそうです。 山岳家でもあった竹内先生は、スミレの大家としても知られ貴重な種のスミレもあったとのこと。

 さて、向台小学校の校庭にあるメタセコイアですが…現在はこんなに大きくなっています!上空から見ても立派なランドマークとなっています♪

向台小学校ホームページより

 昭和36年植樹、来年には60歳になる大木ですが、工事のための伐採で枯れかけたことも。
そんな時は竹内先生も手助けしてなんとかもちこたえ、現在の立派な姿になっています。

 竹内先生は「草木に親しむ会」を設立。市内の自然環境保護や保全に努めたそうです。また、向台自然公園(向台町)や西原自然公園(西原町)の開園にも尽力したとのこと。

 今回お話を聞かせていただいた「西東京自然を見つめる会」の高濱劭さんによると「本当に気さくな人だった」そうで、向台小学校や地域の人たちに大変慕われていたそうです。
 88歳で永眠されたときには、向台小学校から弔電が届いたというエピソードもありました。(昭和57年11月1日 永眠)  

おじいちゃん、メタセコイアのお世話ありがとうございました。おじいちゃんの意思を継ぎりっぱに育てます。安らかにお眠りください。向台小学校児童一同。

福岡山の会 会報せふり 竹内亮先生追悼号 7ページより引用
昭和58年11月1日発行

http://fukuoka-ac.com/

 
 お話してくださった高濱さんは、竹内先生と田無での活動を一緒にしていた方。その思いや資料などを預かり受け、文献目録の作成や作品の管理などにも力を尽くされています。
 拝見した写真や会報などの資料では、竹内先生の笑顔や、研究者としてのボタニカルアート、山々の景色を描いた油絵など、おおらかで愛される人柄が伝わってきました。


 公園は現在月一回「西東京自然を見つめる会」の皆さんが入り、手入れや調査をしているとのこと。(ほかにも楽しそうな活動をしているようですね)

冒頭写真の狸さんは、会の皆さんが温かく見守ってくれているようですが
貴重な植物が持っていかれてしまったのは残念なことだったと思います。
この公園の成り立ちや思いが少しでも伝わるといいですね!

 時代を超えて木が残り、歴史的事実や人物、その人柄や思いまで伝えてくれる。
生きた化石といわれるメタセコイアにとっては、戦後から現在までの59年間は
短いかもしれませんが、知られざる人の歴史と思いに触れることができました!

気になる正解者は…

 さて、西東京マニアックス今回は1名の応募のみとなりました。
taki-shiitaさん!毎回回答&正解の猛者であります!

今回はちょっと難しかったですね。 不正解を恐れず回答をお待ちしています!
皆さんも、この放送を機にぜひ足を運んでみてくださいね♪

それでは次回もよろしくマニアック!
文章:廣田亜希子

まちの音

西東京市保谷町3丁目のうなぎ屋のうなぎを焼く音