社会が一斉に立ち止まった2020年。
イベントは消え、人の移動も制限され、「何もできない」という空気が広がった。
その中でも、「できることはある」と動き続けた人がいる。
防災イベントを主催しながら、地域の中で仕事を回し、静かに活動をつなぎ続けた石川睦美さんだ。
コロナ禍は、仕事のあり方、人との距離、そして暮らしの単位そのものを問い直した。
その時間の中で見えてきたのは、「自分を支えるもの」と「地域の中で循環する豊かさ」だった。
止まった社会の中で、何を止め、何を止めなかったのか——。
思考を重ね選択を加速させたことが、いまの生き方へとつながっている。

石川さんのお話はここからお聞き頂けます(約19分)
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すべてが止まった2020年と、想定外だった現実
石川睦美と言います。
今は公益財団法人で、視覚障害や聴覚障害の方に関わる仕事をしています。
その傍ら、チラシなどのデザインをしながら、防災キャラバンという地域イベントを主催しています。
2020年は、東久留米青年会議所の最後の年でした。
1月に全国の青年会議所会員が京都に集まる会議があって、そこから帰ってきたら、2月にはもうすべてがストップしてしまって。
ちょうどその頃、シェアオフィスの管理をしていたんですが、
正直「これは商機かもしれない」と思ったんです。
出社できなくなれば、人が来るだろうと。
でも、全然来なかった。
理由は、会社側のルールが追いついていなかったんですよね。
セキュリティの問題も含めて、「どこまで外で働いていいか」が決まっていなかった。
世の中が変わった瞬間に、制度やルールが追いついていない。
それをすごく実感した時期でした。
「防災なのに、何もしないのか」——止めざるを得なかった活動
2016年から続けていた防災キャラバンも、一般活動
2016年から続けていた防災キャラバンも、一般のイベント同様に中止になりました。
でも、防災をやっているのに「何もやらない」という選択でいいのか。
ずっと引っかかっていたんです。
ただ、当時はコロナが未知すぎて、
少し話題を出すだけでも強い反発が返ってくることもありました。
「人が亡くなっているのに、軽々しく考えていいのか」と。
それはもちろんその通りなんですが、
同時に「コロナそのものが災害」であるとも思っていて。
もしこの状況で地震や火災が起きたら、
避難所に行かざるを得ない。
だったら、ソーシャルディスタンスを守りながら、
どう避難所を運営するのか——
本当はそこを考えるべきだったと思うんです。
でも、結局それはできなかった。
止めないための選択——映像というかたち
それでも「何もしないまま」は選べませんでした。
なので、映像を2本作りました。
トイレの設置方法と、避難時の睡眠に活用できるグッズや方法について。
結果的にそれが、防災キャラバンとして
唯一きちんと形に残ったものになりました。
今でも避難訓練などで使われているようです。
当時の映像を見ると、マスクしているなとか思うんですけど、
むしろ感染対策は避難所では必要なこと。
だから、「諦めないで、できることをやる」。
それだけはこの先、また何かあった時にも続けたと思います。
そして再開へ——“元に戻す”という選択
イベントが再開できるようになってからは、
いわゆる「アフターコロナ」というより、
ほぼそのまま元に戻しました。
気がついたら、2026年で10年目。
映像も含めて10回やっています。
歩みを止めずに、できることをやり続ける。
それが次につながるという感覚は、
関わってくれた人たちの中にも残っていると思います。
コロナ禍が加速させた「見えない支援」の進化
大きな課題として残っているのは、
多言語対応や、視覚・聴覚障害の方へのフォローです。
ただ、コロナ禍で得たものも大きかった。
オンラインツールの進化で、
字幕機能や音声のテキスト化が一気に進みました。
たとえば、音が聞こえなくても、
文字で会議を追えるようになったり。
しかもそれは、障害のある方だけでなく、
誰にとっても便利なんですよね。
議事録にもなるし、後から見返せる。
こういう仕組みは、
リアルでもオンラインでも「標準化」したいと思っています。
何かあった時に、一番最初に必要になるものなので。
「辛くなかった」という正直な実感
実は、コロナ禍で辛かったことって、あまり記憶にないんです。
もともと一人でいるのが苦じゃないタイプで、
むしろすごく快適でした。
人と会えないとか、飲みに行けないとか、
そういうのも全然つらくなかった。
フリーランスだったこともあって、
社会との接点は減りましたが、
逆にそれがちょうどよかった。
仕事も、地域のつながりからコンスタントにいただけていて、
生活に困ることもなかったんです。
「自分に必要なもの」を知るという強さ
人によって感じ方は本当に違ったと思います。
だからこそ、あの時に
「自分にとって何が必要か」
「何がストレスか」
「何が好きで、何が嫌いか」を知れたことは大きい。
追い詰められた時に、それを知っているかどうかは、
自分を守る上でとても重要だと思います。
私にとっては、音楽は絶対に手放せないものだと気づきました。
ああいう状況だからこそ、
「これがないと自分じゃなくなる」というものに、
気づけた人は多いんじゃないかなと思います。
「好きなことだけで生きる」への転換点
今46歳になって思うのは、
好きなことだけを選んで生きていく、ということ。
6年前にはそこまで思っていなかったんですが、
コロナ禍で一気に加速しました。
自分が幸せだと思う方向に進めば、
自然とそっちにしか行かない。
だったらもう、好きなことだけやって生きていこうと。
そう思えるようになりました。
地域の中で回る「小さな経済」その中に自分がいるという幸福感
もう一つ大きかったのが、
地域の中で経済が回る感覚を体感できたことです。
仕事をくれる人も知り合い。
お金を使う先も知り合い。
自分が作ったチラシを見て、
「これ見てお店に行ったよ」と声が返ってくる。
今までの仕事では得られなかった距離感でした。
誰が自分を支えてくれているのかが見えている。
その中に自分がいる。
これはすごく幸せなことだなと思いました。
防災の本質としての「地域で生きる力」
防災の観点から見ても、
これはとても大事なことだと思っています。
外で働けなくなった時でも、
地域の中で仕事があり、
お金が回り、生活ができる。
そういう小さな経済圏を持っていること。
それを実際に体感していること。
もし選べるなら、
ずっとそういう暮らしを続けたいと思うし、
そういう社会であってほしいと思います。
ありがとうございます

