教育実習の受け入れが次々と断られ、学生たちの進路が揺らいだコロナ禍。
その最前線で、教員を目指す学生たちを支え続けた一人の教育現場経験者がいる。
武蔵野大学で教職課程を担い、かつては小学校教員・学校長として現場にも立ってきた高城栄則さんだ。
未曾有の混乱の中で見えてきたのは、教育の厳しさだけではない。
教室に来られなくても、同じ時間をともに学べる――オンラインが広げた新たな「学びの居場所」という可能性でもあった。
揺れ動く現場の中で見つめた教育の本質と、いま教員を志す若者たちに伝えたいこととは――。

高城さんのお話はここからお聞き頂けます(約19分)
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「さあこれから」という時の崩壊――教育実習が止まった日
高城栄則といいます。現在は仕事をリタイアして、趣味と実益を兼ねて、西東京で週1回だけお弁当のお店「YOTTECO」をやっています。
2020年当時は、武蔵野大学で教職センター事務課の課長をしていました。教員を目指す学生たちの教育実習や体験活動、教員採用試験の支援などを担当する部署です。
まず何が困ったかというと、教育実習の受け入れが非常に困難になってしまったことでした。
教育実習というのは、春になって急にお願いするものではなくて、前の年から各学校と丁寧にやり取りをして、ようやく受け入れが決まるものなんです。
それが「さあこれから」というタイミングで、ちょうど緊急事態宣言になってしまった。
そこからは、学校から実習の断りの電話が入ったり、なんとかお願いできませんかと頼み込んだり、その対応に追われる日々でした。
全体では200件以上の実習先を確保しなければならない中で、東京都教育委員会の協力で期間短縮や分散実施といった対応もありましたが、特に大変だったのは地方出身の学生たちです。
前の年から自分の出身校に足を運んで、「ぜひここで実習をさせてください」と頼み込んできた。それが「子どもたちも登校していないから受け入れられない」と断られてしまう。
これは本当に辛いことでした。
夢を断たれかけた学生たちと、受け入れる側の苦悩
地方出身の学生にとって、地元での実習はそのまま採用試験にもつながる重要な機会です。
「この県で先生になりたい」と強い思いで準備してきたものが、突然断たれてしまう。
結果的には東京都で受け入れ先を探し直すことになりましたが、それは学生だけでなく、受け入れる学校側にも大きな負担でした。
都内の学校には、さまざまな大学から実習生が集まります。そこにさらに変更してきた学生が加わる。
現場は本当に大変だったと思います。
しかもその時、学校現場ではオンライン授業が初めて導入される状況でした。
指導する先生も、実習に来る学生も、どちらも「初めて」同士。
機器の準備、カリキュラムの再構築、授業の進め方――すべてを手探りで進めていくしかありませんでした。
ただ、今振り返ると、その時期を乗り越えた学生たちは、現場に出た今、とても力になっていると思います。
「何が来ても対応できる」という自信を、ある意味で身につけた世代ではないでしょうか。
「実習はさせていただくもの」――学生に伝え続けたこと
学生たちに繰り返し伝えていたのは、「実習はさせていただくものだ」ということでした。
どうしても学生の中には、「単位を取るためにやるもの」という感覚が出てしまうこともあります。
でも、あの状況ではそんな気持ちでは受け入れてもらえない。
自分は本当に教員としてやっていく覚悟があるのか。
困難な状況でも乗り越えていく意思があるのか。
そういったことをしっかりと示しながら、「やらせていただく」という姿勢で臨みなさい、と伝えていました。
また、学校の状況をよく調べること、これまで学んできたことを復習して力をつけておくこと、そして何より一つひとつの経験に感謝の気持ちを持つこと。
これを本当に口酸っぱく言っていました。
私は40年近く公立小学校で教員や学校長を務めてきました。
実習生を受け入れる側の大変さも知っています。
学校は、一人の実習生を受け入れるために、子どもたちへの説明も含めて、たくさんの準備をしている。
それをぜひ分かってほしかったんです。
途切れかけた夢をつなぎ直した、一人の学生の話
印象に残っている学生がいます。
教育実習の最中にコロナに感染してしまい、実習が途中で中止になってしまった学生です。
教員志望一本でやってきた学生で、「もう夢が断たれた」と本当に落ち込んでいました。
でもそこから、私たちも含めて関係者みんなで、どこかで受け入れてもらえないかと動きました。
その結果、もう一度実習の機会を得ることができたんです。
その学生は「ありがとうございます、頑張ってきます」と言って実習に向かい、
その後、教員として現場に立つことができました。
2年ほど経ってから、「元気で頑張っています」と、顔を出してくれたこともありました。
少し大人びた様子で、菓子折りなんかを持ってきてくれて――そういう姿を見ると、本当に嬉しいですね。
コロナが一気に進めた「オンライン教育」という進化
コロナがあったからこそ得られたこともあります。
一番大きいのは、オンライン授業やオンライン会議の普及です。
あれによって、先生も児童・生徒も、そして大学も、機器の使い方や活用方法を一気に身につけました。
私自身も、それまでZoomなんて触ったこともありませんでしたが、会議も実習の打ち合わせもすべてオンラインで行うようになりました。
あの短期間で、ここまで一気に環境が整ったのは、やはりコロナがあったからだと思います。
また、オンライン授業によって、これまで教室に来られなかった子どもたちが授業に参加できるようになったという側面もありました。
顔を出さなくてもいい、聞いているだけでもいい。
そういう形で、「今この瞬間、みんなと同じ授業を受けている」と感じられたことは、大きな意味があったと思います。
先生たちも、 教室の子だけでなく、時々カメラの方を向いて、「 今のこと分かってる?」みたいな授業も出来るようになりました。
不登校のお子さん以外でも、病気や怪我だとかで学校に登校できない時でも授業が受けられるように常設でも臨時でもどこの学校でも対応できるようになったのは大きな変化です。
施策としてだったら何年も準備をかけるところが、コロナだったからこそ、1年かけないで実現して、 やりゃあできるんだと思いました。
便利さの裏で失われたもの――つながりの希薄化
ただ一方で、失われたものもあります。
やはり、人と人との直接の関わり、気持ちの伝え合いといった部分は、希薄になったと感じています。
オンラインは便利です。
でも、「行きたくないからオンラインにする」といった使われ方も出てきてしまった。
本来は教室に集まって、ワイワイしながら関係を築いていく中で生まれるものがあるはずなんです。
悪い例を言えば、「ちょっと今日寝坊しちゃって、 遅れそうだから今日僕はオンラインにします」みたいなことが
オンラインで出来てしまう。自分の都合でまかり通るようになってしまった。
教育の現場は、AIでは代替できない部分が大きい仕事です。
だからこそ、人と関わることを避けてしまうような姿勢で免許が取れてしまうことには、少し不安も感じています。
もっと人と関わることを大事にして、問題にぶつかりながらも乗り越えていく。
そういう経験を積んでいってほしい。
そして、子どもたちに寄り添いながら、その成長を支えていけるような教員を目指してほしいと思っています。
ありがとうございます。

