相続専門のファイナンシャルプランナーとして活動する豊福臣吾さん。
コロナ禍の中で受けたワクチン接種の翌日、突然の痙攣と意識消失に襲われ、救急搬送された。その後も発作は繰り返され、「てんかん」と診断。運転免許の停止、薬との付き合い、家族への負担――生活は大きく変わった。
それでも豊福さんは、「命あるだけOK」と語る。
できなくなったことではなく、“まだできること”に目を向けながら、家族や仕事、地域との関わりを続けてきた。
コロナ禍を通して見つめ直した「自分で考えること」の大切さ、そして逆境の中でも前に進もうとする姿勢について語ってもらった。
豊福さんのお話はここからお聞き頂けます(約19分20秒)
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「打つべきなのか」迷いながら受けたワクチン接種
豊福臣吾さんは、相続準備を専門とするファイナンシャルプランナーとして、「豊福相続FPコンサルティング」の名前で活動している。
2020年2月頃、コロナのニュースを見ていた当初は、「そんなニュースがあるのかなという程度」で、まだ深刻には捉えていなかったという。
しかし、その後社会全体が大きく変化していく中で、自身もワクチン接種を受けることになる。
「打とうか打つまいか、非常に迷った」と振り返る豊福さん。
それでも、「世間の波だとか、いろんなお偉い方だとかが“打て打て打て”という空気だった」
と感じ、接種を決断した。
1回目の接種では特に異常はなかった。
だが、2021年9月15日に受けた2回目接種の翌日、人生を変える出来事が起きる。
真夜中の発作――救急車で運ばれた夜
接種翌日の深夜1時頃。
突然、豊福さんは痙攣を起こし、意識を失った。
妻によれば、泡を吹きながら痙攣していたという。
豊福さん自身が意識を取り戻したのは、救急車の中だった。
「頭痛と、なんで拘束されているのか分からなくて、質問にも答えられなかったそうです」
突然の出来事に、妻は「三途の川を渡ってしまうのかなと思った」と語っていたという。
さらに発作は一度で終わらなかった。
3か月後、さらに3か月後、そして1年後――。
同じような発作が計4回起き、そのたびに救急搬送された。
「てんかん」との診断――“治す”ではなく“抑える”治療
診断名は「てんかん」。
豊福さんは医師に、「先生、治るんですか?」と尋ねた。
返ってきたのは、
「これは、ずっと付き合うつもりでいてください」という言葉だった。
現在は、発作を抑える薬を毎日服用している。ただ、それは「治療」というより、
「出ないように抑えておくための薬」なのだという。
薬の影響で疲れやすくなり、眠気も強くなる。
「全力モードでいられる時間が短くなる」と感じている。
そこで豊福さんは、生活リズムそのものを見直した。
朝早く起きて薬を飲み、一度休憩を入れてから仕事に入る。
昼休みも長めに取り、19時頃まで集中力を維持する。
夜の会合や飲み会も減らした。
「慣れてしまえば、日常生活の一部なんですよね」そう静かに語る。
「普通に見えても、そうじゃない人がいる」――障害者手帳を取った理由
豊福さんは、精神障害2級の障害者手帳も取得した。
生活上、必ずしも必要ではなかったという。
それでも、あえて取得した背景には、強い思いがあった。
「普通に見えても、そうじゃない人っていっぱいいるんだよってことを、周りに知ってもらいたかった」
赤いヘルプマークを見た人から声をかけられることもある。その時、自分の経験を話す。
「こういうことがあって、今、精神障害2級なんですよ」
それは、自分自身のためだけではない。
「これも後世に残せたら」
そんな思いも込められている。
「右がダメなら左へ」――逆境の中で支えになった言葉
豊福さんの根底には、学生時代のある言葉が残っている。
中学時代、バスケットボール部の顧問から言われた一言。
「右がダメだったら左行け」
ディフェンスを抜けずに止まっていた時、顧問に叱られた。
その言葉は今でも人生の軸になっている。
「左のドア閉まってるんだったら、右のドア行こうって」
だから今も、
「できないことはある。でも、できることってまだいっぱいあるじゃん」と考える。
そして、その姿を子どもたちにも見せたいと思っている。
「父ちゃんも、こういうことがあっても頑張ってたんだよって」
今は理解できなくても、いつか人生のどこかで思い出してくれたら――。
そんな願いがある。
青梅マラソンへの再挑戦――“体力テスト”としての挑戦
発作後、自分の身体がどこまで動けるのかを確かめるため、豊福さんは再び青梅マラソンに挑戦した。
それは記録を狙うためではない。
「僕の中では体力テストなんですよね」
去年は途中で足切りになった。
しかし今年は20キロ地点まで到達できた。
「逆境の中でも、ある程度アンチエイジングってできるのかなって」
その挑戦は、自分自身への確認でもあり、子どもたちへのメッセージでもある。
「おっさんでも、どうにかできる部分があるんだよって」
運転できなくなって見えた“街の景色”
発作後、医師から運転停止を命じられた。
家族旅行では、運転はすべて妻に任せるしかなかった。
子どもの送り迎えも含め、多くの負担を家族にかけたという。
しかし一方で、“失ったからこそ得られたもの”もあった。
車ではなく、自転車や徒歩で移動するようになったことで、街の見え方が変わった。
「車では絶対見えなかったお店とか景色が見えるようになった」
子どもの頃に通った西東京市の裏道。
小さな店。
地域の空気。
歩くことで、街を「地元」として感じ直すようになった。
「やっぱり速いと、見落としてるものっていっぱいあるんだなって」
コロナ禍を通して伝えたいこと――「自分で考える」
豊福さんは、コロナ禍を通して強く感じたことがある。
それは、
「本当にいいと言われているものが、自分にとって本当にいいのかは、自分で考えるべき」
ということだった。
マスコミ、政治家、専門家、大学教授――。
多くの“正しい”が飛び交った時代。
しかし、「その部分的な最適が、自分に合うとは限らない」
とも感じた。
東洋医学との出会いも含め、さまざまな価値観に触れる中で、「俯瞰して見ること」の大切さを学んだという。
「世の中は白黒だけじゃない。グレーもある」
多数決ですべてが決まるわけではない。
万人に合う答えもない。
だからこそ、
「自分はどうなのかを客観的に見られること」
が大切だと語る。
それは仕事にも、子育てにも通じる考え方だ。
「命あるだけOK」――それでも前を向いて生きる
豊福さんが繰り返し語った言葉がある。
「命あるだけOK」
できなくなったことはある。
薬も必要になった。
運転も失った。
突然発作が起きる不安もある。
それでも、
「まだ命あるだけOK。まだできることいっぱいあるじゃん」
と語る姿には、逆境を経てもなお、生きることを前向きに受け止めようとする強さがにじんでいた。
※豊福さんはこの2年間発作がなかったということで、2026年4月運転免許の再取得が叶いました。


