外出の制限、人との距離、そして「接触そのもの」への不安——社会全体が揺れる中でも、変わらず“店を開け続ける”現場があった。
コンビニエンスストア。
地域に最も近い生活インフラとして、その灯りを絶やさなかった場所だ。
30年近く現場に立ち続ける店長が語るのは、未知の感染症への恐怖と、接客の現場で起きた戸惑い、そして「休めない仕事」としての責任。
その経験の先に見えてきたのは、過剰に恐れることでも、無関心でいることでもない——社会としての“ちょうどいい距離感”の必要性だった。
コロナ禍の現場が問いかける、これからの社会のあり方とは何か。

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「テレビの中の話」から一変した現実
2020年2月頃、コロナはまだ「テレビの中のニュース」だったという。
「特段まだその頃は何もなかったですね。どういうことが危ないのかも分からない状態でした」
現場での対応も、本部からの指示が来るまでは手探りだった。
やがて、パーテーションの設置、消毒の徹底、マスク着用など、少しずつ“新しいオペレーション”が導入されていく。
「本部からお達しが降りてきてからですね。いろんなことがちょっとずつ変わっていった感じです」
「聞こえない・伝わらない」接客の壁
感染対策は、接客業にとって大きな壁となった。
ビニールシート越しの会話、マスク越しのやり取り。
ただでさえ音の多いコンビニ店内では、声はさらに届きにくくなる。
「声の小さい人だと全く聞こえない。カウンター越しに『すみません』って、でもあまり顔も近づけられないし…」
「お互いマスクしているので、表情も分からない。“今怒ってますか?”みたいな、コミュニケーションが難しい時期でしたね」
特に高齢者とのやり取りは困難を極めた。
「耳が遠い方も多いので、会話が成り立たないこともあって…接客業としては厳しかったですね」
変わったのは“人の流れ”だった
コロナ禍で来店客が激増したわけではなかった。
「正直、横ばいか若干減ってましたね」
大きく変わったのは“時間帯”と“行動パターン”だった。
夜の外食が制限され、人々は家に直帰するようになる。
生活サイクルの変化は、そのまま店舗の人の流れに影響した。
「人の流れがだいぶ変わりましたね」
一方で、コンビニの利用層にも変化があった。
「年配の方が増えたと思います。遠くに行けないので、近くで少しずつ買うスタイルになってきたのかなと」
“感染したらどうなるのか”という恐怖
幸いにも、この店舗では大きな感染は起きなかった。
「一番大変な時に、誰一人引っかからなかったんです」
しかし現場には常に緊張があった。
「誰か一人でも感染したらどうなるんだろうって。戦々恐々でしたね」
自身も生活を極限まで制限した。
「家と店の往復だけ。外で人と会うことはほとんどなかったです」
“命綱”としてのコンビニ
感染の疑いがある客が来店することもあったという。
「どう見ても具合悪いですよね、っていう方は何人かいました」
それでも、彼らを拒むことはできない。
「生活圏内で一番近くて、すぐ買える場所ですからね」
特に一人暮らしの高齢者にとって、コンビニは重要な存在だった。
「重いものを持てない、遠くに行けない。だから毎日ちょっとずつ買いに来る」
本当に“命綱”みたいな存在だったのかもしれない。
震災とコロナ、現場が感じた“違い”
30年の経験の中で、最も過酷だったのは東日本大震災だったという。
「棚がすっからかになるなんて、あの時だけでした」
物資が届かない中でも店は開け続けた。
それに比べれば——
「いろんな制約はあったにしても、コロナの方がまだマシだったのかなと思います」
コロナが教えた“当たり前のこと”
コロナ禍で得た気づきは、意外にもシンプルだった。
「感染症ってちゃんと対処しないといけないものなんだなと」
手洗い、うがい、基本的な衛生意識。
「前に比べたら、気をつけるようにはなりましたね」
過剰でも無関心でもない「ちょうどいい距離感」を
最後に語られたのは、社会への率直な思いだった。
「過剰にパニックになる必要はないと思うんです」
「でも、みんなが自分で守る努力をしていけば、ここまでの規制にはならないんじゃないか」
強すぎる制限は、人々の生活を大きく変えてしまう。
「日常の生活を変えなきゃいけないところまで追い込まないでほしい」
また、マスクを巡る同調圧力にも疑問を投げかける。
「そこまでしなきゃいけないの?って。行き過ぎると差別になってしまう」
“現場の声”を、次に活かすために
現場で起きていたこと、そのすべてが次への教訓になるはずだ。
「僕らみたいな現場の人間が大変だったことを、ちゃんと集約して次に活かしてほしい」
「それが政府の仕事だと思います」
ありがとうございます
