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「あの時の違和感と、いまの確信」中国・豪州、そして“誰もいなくなった治療院”――揺れる社会の中でたどり着いた、健康が社会を支えるという実感  「聞かせてくださいあなたのコロナ禍~私たちは何を学んだのか?」

2019年末、中国・昆明での高地トレーニング中に耳にした“謎のウイルス”。
やがてそれは世界を覆い、日本、そして日常をも変えていった。

スポーツトレーナーとして海外を飛び回りながら、最前線のコロナ禍を体感した関根陽一さん。
その一方患者が消えた治療院、社会の同調圧力、そして家庭に訪れた思いがけない変化――。

混乱の中で見えてきたのは、「健康でいることこそが社会貢献になる」という実感だった。
30年の経験を持つ治療家、関根スポーツマッサージの関根陽一さんが語る、コロナ禍の記録と、この先に残すべき教訓。

関根さんのお話はここからお聞き頂けます(約17分)

//// お話の記事はこちらから ////

「ここは大丈夫」から始まった違和感

――中国・昆明で見た異変のはじまり

関根スポーツマッサージ治療院の関根陽一と申します。鍼灸マッサージ師で、スポーツトレーナーとしても活動しています。もう30年になりますね。田無で開業して22年くらいです。

2019年の年末から、中国・雲南省の昆明に陸上部と一緒に高地トレーニングに行っていました。そのときに、武漢で何かウイルスが出ているという話が入ってきたんです。

ただ、昆明は武漢からかなり離れているので、現地の人たちは「ここは関係ないよ」と言っていて。中国は広いから、ほぼ別の国みたいな感覚なんですよね。

だから「大丈夫なんだ」と思っていたんですが、だんだん雲行きが怪しくなってきて……。中国人の旅行が禁止になり、ホテルから中国人が一斉に出されるという状況になりました。

「熱があったら連れていかれる」

――現地で感じた緊張と恐怖

私たち外国人は帰りの便までは滞在していいと言われたのですが、そのうち毎日検温が始まりました。従業員が体温計を持って部屋を回ってくるんです。

「熱があったらどうなるんだ?」と聞くと、「どこかに連れていかれる」と言われて、みんな本当に怖がっていました。

帰国直前になると空港がどんどん閉鎖されていき、移動も厳しく制限されました。空港に向かう途中でも検疫で何度も車を止められて、防護マスクをつけた人たちにチェックされる。

かなり物々しい雰囲気でしたね。

「これでいいのか?」日本で感じた拍子抜け

――厳戒の中国との落差

ようやく日本に帰ってきたら……拍子抜けでした。

あれだけ中国で大騒ぎになっていたのに、日本ではほぼ通常通りの入国。「熱ある人いますか?」と聞かれて、誰も手を挙げなければそのまま通過。

「これで大丈夫なのか?」というのが正直な感想でした。

現地の状況を見ていたので、「これは日本にも来る」と感じていましたが、その時点ではまだほとんど危機感はなかったですね。

オーストラリアで感じた“日本への視線”

――ダイヤモンド・プリンセスとオーストラリア

その後、オーストラリアの大会に向かいました。滞在中にダイヤモンド・プリンセスの問題が起きて、現地では日本への批判報道がかなりありました。

「日本でオーストラリア人が閉じ込められている」「政府は何をしているんだ」といった内容で、テレビでも連日取り上げられていて、正直ちょっと肩身が狭かったですね。

ちょうどその頃、「中国に1ヶ月以内に滞在した人は入国禁止」という通達が出て、私たちは本当にギリギリで入国できた状態でした。

「患者がゼロになった」治療院の危機

――緊急事態宣言と経営の現実

2020年4月、緊急事態宣言が出てからは、本当に人が来なくなりました。

もともと多くの患者さんに来ていただいていたのですが、予約が完全にゼロになってしまって……。
あれは正直、かなり落ち込みましたね。

空気清浄機や消毒など対策はしましたが、やはり世の中全体が神経質になっていました。

最終的には、周囲の目もあって一度治療院を閉めました。

支えになった制度と、続く負担

――給付金と融資でつないだ日々

持続化給付金には本当に助けられました。スタッフがいるので、給料を払う必要があり、それに充てました。

1ヶ月ほどで再開しましたが、すぐには患者さんは戻らず、コロナ融資を受けて何とかしのぎました。今でも返済は続いています。

「来たいけど行けない」患者さん側の葛藤

――見えない壁との戦い

患者さんが戻ってきたのは、8月から9月くらいでした。

ただ、後から聞くと「行きたいけど行っていいのか分からなかった」と。
自分が感染させるかもしれないという不安があったんですね。

今思えば、「来てください」ともっと発信してもよかったなと思います。

恐怖と同調圧力の中で

――志村けんさん、ワクチン、そして葛藤

最初に強い恐怖を感じたのは、志村けんさんが亡くなったときです。「得体の知れないものが来た」と感じました。

その後はワクチン接種の流れになり、打たないと社会に受け入れられないような空気もありました。スタッフ全員にも接種してもらいましたし、自分も打ちました。

ただ、患者さんから「何回打ちましたか」と聞かれることが続き、それは精神的にきつかったですね。

コロナを通じて、「同調圧力」というものを強く実感しました。

「なんか変だな」現場で感じた違和感

――ルールと現実のズレ

スポーツの現場で移動が多かったのですが、違和感もたくさんありました。

空港では椅子が一つおきなのに、飛行機は満席。券売機は間引かれて長蛇の列なのに、バスは満員。
「これ、本当に意味があるのかな」と感じることは多かったですね。

家庭を救った“コロナ”という側面

――登校できなかった子どもたちの変化

一方で、救われたこともあります。

長男と次男が学校に行けない時期があり、家庭がかなり苦しい状態だったのですが、緊急事態宣言で「行かなくていい」となったことで、気持ちが一気に楽になりました。

その後、オンライン授業が選べるようになり、家にいながら授業に参加できるようになった。結果的に、その後また通学できるようになったんです。

あれは本当にありがたかったですね。

「健康でいることが社会貢献」

――仕事への誇りの再確認

コロナを通じて強く感じたのは、「自分が健康でいることが社会への貢献になる」ということです。

感染しない、させない。そのためには健康でいることが前提になる。
自分たちの仕事も、そこに貢献できるんだという誇りを改めて感じました。

後世に残したい教訓

――免疫を高めるというシンプルな答え

やはり最終的には「免疫を上げる」ということに尽きると思います。

運動・栄養・休養。この3つのサイクルをしっかり回すこと。
休養も、ただ寝るだけではなく、心が喜ぶことをする。楽しいことをすることも立派な休養なんです。

関根さん自身は子どもと過ごすことが“緩む時間”とおっしゃいます。
「今は、子どもと何かに取り組んでいる時間が一番楽しいですね。そういう時間が、自然と心と体を緩めてくれているんだと思います。」

⑭あの頃の自分へ

―もし2020年の自分に会えるなら?

「大丈夫。自分のできることをしっかりやりなさい」
そう伝えたいですね。

ありがとうございました。