2020年春。世界が止まり、空港が閉ざされたあの頃。
ボリビアでの仕事を終え、いくつもの国を経由して、ようやく日本へたどり着いた別當紀人さん。
帰国できた安堵も束の間、成田空港で告げられたのは「陽性」の知らせでした。
そこから28日間のホテル隔離生活。
無症状から始まった体調の変化、ニュースで知る“自分の陽性”、そして周囲への「申し訳ない」という思い。
止まってしまった時間の中で、何を感じ、何を見つめていたのか。
失ったコロナ禍への率直な気持ちを語って頂きました。
(お話は海外にいらっしゃる別當さんとZOOMでつないでお聞きしました)
別當さんのお話はここからお聞き頂けます(約12分30秒)
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ボリビアのハイシーズンから、思わぬ足止めへ
「別當紀人と申します。旅行業に従事しています。少し珍しいのですが、ボリビアのハイシーズンである1月から3月に現地で働いています。」
緊急事態宣言が出たときは、まだボリビアに?
「いえ、仕事を終えて隣のチリにいました。旅行が好きなので、チリからモアイ像で有名なイースター島へ行く予定だったんですが、、、、チリで飛行機が全部ストップしてしまって……。本当に動けない状況になりました。
結果的に、チリに1カ月半以上滞在することになります。
空港にも行けない 1ヶ月半足の止め
飛行機は徐々に再開しました。
しかし、友達の家にお世話になっていたのですが、そこから空港に行く交通機関が止まっていたんです
日本大使館と連絡を取りながら状況確認。ようやくバスが動き始めて、なんとか空港へ向かえました。
チリは、日本よりも外出制限が厳しかったといいます。
サンティアゴ→ニューヨーク→ロサンゼルス→成田
帰路も簡単ではありませんでした。
サンティアゴからニューヨークへ。
しかし便が少なく、空港で16時間待機。
さらにニューヨークからロサンゼルスへ。
そこでまた10時間待機。
「本当に空港に缶詰でしたね。」
そして、ようやく成田へ到着。
成田での陽性判明
到着後はPCR検査。
段ボール製の簡易ベッドで待機し、その後ホテルへ移動。
そこで電話が鳴ります。
「“あなた陽性でした”と言われました。」
どこで感染したのかは分からない。
チリか、アメリカか。
翌日、防護服姿のスタッフが迎えに来て、別のホテルへ隔離。
「最初は無症状でした。だから飛行機にも乗れたんです。」
数日後に37.5度の発熱。
そして嗅覚を失いました。
「カレーを顔に近づけても、まったく匂わなかったですね。」
28日間の隔離生活
隔離は約28日間。
「症状が軽かったので、個人的にはそこまで辛くはなかったです。」
ただ、部屋から一歩も出られない。
隣の部屋に親子が入ってきたこともあった。
「小さなお子さんの声が聞こえてきて……。先に退所されたんですけど、ちょっと複雑でしたね。」
ホテルはWi-Fi完備。
LINEやWhatsAppで海外の友人や家族ともコミュニケーションはとっていました。
映画も見放題。普段は映画をあまり見ないんですけど、結構見ましたね。
毎日、検温と酸素濃度の報告。
鼻からのPCR検査も定期的に行われました。
食事はすべてホテル。
「実は大食いなので、ちょっと足りないこともありました。」
ニュースで知る“自分の陽性”~申し訳ない気持ちに
ある確認の電話がありました。
「感染者の発表がありますが、名前は出ません。」
ニュースを見ると、成田での陽性者“1名”。
「“これ、僕だな”と思いました。」
申し訳ない気持ちが強かったといいます。
飛行機に乗ったこと。
ホテルを利用したこと。
清掃スタッフの方々。
そのみなさまにもご家族や周囲の方々がいらっしゃるので、、、、
「本当にごめんなさいって、ホテルの清掃の方に手紙を書きました。」
失われた時間、そしてこれから
コロナ禍から得た教訓は?
「正直、教訓と言えるものは見当たらないです。良い経験ではありましたが……。」
旅行業は今も影響を受けています。
海外渡航者は減少。
パスポート保持率も低い。
円安、物価高、燃料費高騰などもありますが、、、
「失われた期間を返してほしい、という気持ちはあります。」
それでも――
「これからは楽しみたい。旅行が大好きなので、コロナ禍で行けなかった分を取り戻したい。それが今のモットーです。」
止まった時間を、取り戻すように。
別當さんは再び、世界へ目を向けています。
